「弁(わきま)えれば、出入口は同じ処だが遊興の世界では別」

 「弁(わきま)えれば、出入口は同じ処(ところ)だが遊興(ゆうきょう)の世界では別」 明治以前、茶室(ちゃしつ)は入口と退出(たいしゅつ)は別で在った。入口と出口が分(わ)かれて居る遊興(ゆうきょう)の世界で在る。確(たし)かにアバンチュール(冒険)に茶室の躙口(にじりぐち)は窓兼用の入口で、出口では在りません、其処(そこ)から出ると滑稽(こっけい)で在る。元来(がんらい)茶室には窓は無く小さな土壁窓(つちかべまど)、東雲(しののめ)(篠(しの)の目)が一つの薄暗い幽玄(ゆうげん)の世界。大正時代に入り初めて複数窓で、明るく為(な)った六窓庵(ろくそうあん)等窓が付き六つ在る意です。田舎屋(いなかや)は竪穴(たてあな)式住居を指(さ)す。
 茶室は露地の奥、屋敷奥に設(しつら)えられ、躙口(にじりぐち)に到(いた)るアプローチは細い苔生(こけむ)した敷石(いきいし)を踏(ふ)みて枝折(しお)り戸をくぐり、東屋(あずまや)の座より案内が在るまで暫(しば)し待(ま)つ。其(そ)して、躙口より屈(かが)んで厳(おごそ)かに入り迎(むか)えられ、一期一会(いちごいちえ)のティセレモニー。終われば一転(いってん)、明るい後(あと)の段(だん)の書院造(しょいんdくり)の大間(おおま)へ案内され立派な庭での和(なご)やかな「おもてなし」心配(こころくば)りの行き届いた酒池肉林(しゅちにくりん)とも言える接待(せったい)で在った。侘(わび)しさ寂(さび)しさ、野辺(のべ)に佇(たたず)む侘寂(わびさび)の世界と一体か。出口は座敷から表玄関へ、進み丁重(ていちょう)に送り出される。入口と出口が別で在るのは人生の辿(たど)る風景なのか。
 茶道(さどう)を完成し、千利休(せんのりきゅう)は四畳半で腹を切る。秀吉は大徳寺鳥居(とりい)の書額(しょがく)で股(また)を潜(くぐ)らせたと切腹を命じた。千利休は遊興の世界を標榜(ひょうぼう)したのか。(上代)
           「こう成りたい自分が生じたので、より良い自分に成る為に苦難が訪れるのか」