竪穴式住居の伏屋根が持ち上がり、伝統の茅葺住居と成る。

 竪穴(たてあな)式住居の伏(ふせ)屋根が持ち上がり、伝統の茅葺(かやぶき)住居と成る。 竪穴式住居は、トリイ組で入母屋伏(いりもやふせ)屋根の垂木(たるき)構造で在る。伝統建築で日本民家の原型、茅葺(かやぶき)屋根住居は一般的に、オダチ・トイリ組での屋根構造、入母屋造(いりもやづく)りで在る。
 竪穴(たてあな)式住居は、紀元前一万年一千年より住居跡が見られ(焼成(しょうせい)土器が出土(しゅつど)し、縄文(じょうもん)時代)見晴(みは)らしの良い高台で、円形に掘下げた土間の周囲に土手(どて)を築(きず)く。雨水の浸入を防(ふせ)ぎ、丸太で伏屋根(ふせやね)を掛け草等で葺(ふ)くが、先(ま)ず土間の中程より四方に支柱を立て、桁と梁を掛け、トリイ組を造り此れに土手から丸太の垂木(たるき)をもたせ掛け壁とし東西二方に三脚をトリイ組に沿(そ)え中央上に棟木(むなぎ)を載(の)せた。次に屋根部に当たる垂木をトリイ組から棟木に掛け小屋組を造る、要するに、二段の垂木構造で三脚が上に伸び、千木(ちぎ)と成って一本は棟持柱(むなもちばしら)の原型と成る。
 農家の日本住居の原型で茅葺屋根建築は、弥生(やよい)時代後期に竪穴から平地(へいち)式に移り、土手が持ち上がり土塁(どるい)へと替(かわ)った。平安時代中期に伏(ふせ)屋根が内法高(うちのりだか)まで持ち上がり、土塁(どるい)に替って堀立柱(ほったてばしら)が立ち、土塗籠大壁(つちぬりこめおおかべ)が出来たと言う。其(そ)して主柱トリイ組に棟木(むなぎ)を支(ささ)えるオダチ(ウダツ)が載(の)り、要するに竪穴式住居のトリイ組は、伝統茅葺屋根建築のオダチ・トリイ組へと移った。(上代)
           漸く、竪穴式住居をまとめる事が出来た。感謝。