「小生、最近ブーニンを車の中で聴いて居ます。」

 小生、最近ブーニンを車の中で聴いて居ます。 私、車中にて何時(いつ)も音楽等を聞いて居りますが先日、適当に掛(か)けると在る筈(はず)の無いピアニストのCD、ピアノ曲が流れ始める。少しの間、聞くと直(す)ぐ上手(じょうず)なピアノだなあと実感。CDを抜(ぬ)いてタイトルを見ますと、『ブーニン』と在った。道理で凄(すご)く上手(じょうず)なピアニストだと認識。然(しか)し、ブーニンを買った憶(おぼ)えは無い。待てよ、数年前「月光」を聞きたくて買って居たのを想い出した。ふと、想ったのは、私はピアノは弾(ひ)けませんが触(ふ)れ親(した)しんで居なくても上手、感動的かどうかは、其(そ)の世界に居なくても、心して居れば何か伝わって来るものだと感じ、良いものは万人(ばんにん)が感じ得(え)るものと知りました。其処(そこ)で、何故(なぜ)ピアノが弾け無くても凄(すご)く上手だと直感するは何故だろうか当然、鍛錬(たんれん)も技(わざ)と心も磨(みが)きて天性(てんせい)のものも。素直(すなお)に感じたのは「気負(きお)いや力(りき)み」が感じられず正確的確の様子も窺(うか)がえた。CDでは顔は見えませんが、にこやかに穏(おだ)やかに弾いて居られるのでしょう。
 想(おも)えば、名人と言われる人は、気負(きお)い(負(ま)けまいと意気込む)、力(りき)む(力(ちから)を込めて顔を真っ赤にする)から開放されて居るのでしょう。大事なのは表情です。にこやかに楽しく爽(さわ)やか穏(おだ)やかに全(すべ)ては人の心が決めるのだと。(上代)
           「全てに、出発点が在る。」