『国を譲った神々の出雲、大国主命よ永遠に。』

 『国を譲(ゆず)った神々の出雲(いずも)、大国主命(おおくにぬしのみこと)よ永遠に。』 神々の出雲の国、古(いにしえ)の歴史を遡(さかのぼ)り重要な一場面を垣間観(かいまみ)る。其(そ)れは出雲の国が日本を二分した、覇権(はけん)を意味する祭祀権(さいしけん)を「卑弥呼(ひみこ)」擁(よう)する大和政権(やまとせいけん)に制圧(せいあつ)さる、軍門(ぐんもん)に下(くだ)った哀(かな)しい一場面で在ろうか。出雲の国の謎を解(と)き明かすべく突破口にも在る。
 先日、観光バスの団体一泊旅行で山陰安来(やすぎ)の玉造(たまつくり)温泉へ行って参(まい)りました。コースに入って居た出雲と宍道湖(しんじこ)の中程辺(なかほどあた)り、国宝指定される「荒神谷遺跡(こうじんだにいせき)」を目(ま)の当たりにする。昭和59年に谷間の斜面で、祭器(さいき)用銅剣が奇麗(きれい)に4列並(なら)んだ状態で358本が発見されました。長さ約50㎝、紀元前後に造られたものです。続いて隣(となり)からは初期の小型で大きさ23㎝の銅鐸(どうたく)が6個と(神を招(まね)く為(ため)に吊(つ)るして鳴らす紀元前150~前100年頃のもの。)其(そ)して、此れも祭祀(さいし)用の銅矛(どうほこ)(長さ68.5~84㎝)紀元後200年製造の16本。
 何故(なぜ)、全(すべ)ての祭器を埋(う)めたのか。弥生(やよい)後期の200年頃に倭国大乱治(わくこくたいらんおさ)まる。邪馬台国(やまたいこく)の卑弥呼(ひみこ)、239年に使者を魏(ぎ)に送る。(銅鐸(どうたく)は打ち捨(す)てられた。)
 出雲の国、亡(ほろ)びず大和の国より出向(でむ)きては治(おさ)めたと言う。出雲の国蘇(よみがえ)る。空中神殿は焼かれ倒(たお)されたが、総柱型掘立柱祭殿建築様式へと移った。(上代)
           亦(また)、新たな挑戦が始まる。