『斗拱(ときょう)研究 其の① おかめ伝説より始まる。』

 『斗拱(ときょう)研究 其(そ)の① おかめ(お多福)伝説より始まる。』 小生、工務店二代目です。京都府建築工業組合員の身内では寺院建築に見られる軒(のき)を受ける斗拱(ときょう)(肘木(ひじき)と桝組(ますぐみ))は「おかめ」さんが考案したものだと母親に言い聴かされて育った。同僚や工務店の息子達も同様に聴かされ思い込んで居る。
 『おかめ御幣(ごへい)伝説』千本釈迦堂(せんぼんしゃかどう)(鎌倉初期1227年創建)京洛最古の建物で国宝に指定され桧皮葺(ひわだぶき)の緩(ゆる)い勾配(こうばい)で美しい流れを現(あらわ)す。軒裏は本堂の全体天井屋根裏無く、化粧の地棰(じたるき)が覆(おお)う。確かに丸柱(一尺二寸~一尺六寸)は全(すべ)て上部途中で切られ大斗(だいと)が載(の)る。おかめ伝説の建物として納得(なっとく)しました。
 本堂造営の棟梁(とうりょう)が主柱の寸法を短く切り損(そこ)ね困(こま)り果(は)てた。其(そ)れを見た妻の「おかめ」は桝組に依って補(おぎな)えばと考えを提(てい)した。かくして工事は進み、上棟式は盛大に営(いとな)まれる事と成ったが、其の日を待たずに「おかめ」は黄土(よど)へ旅立った。今は亡き、おかめに上棟式を知らしめたいと「おかめ」の面を作り、棟札(むなふだ)に附して上げおかめの徳を讃(たた)えた。此の故事(こじ)が上棟式の御幣と為(な)り、今も広く伝承(でんしょう)されて居る。当組合では毎年秋「おかめ」を祀(まつ)る。銅像も在り。
 以前より中国に斗拱が古くから存在し、私の斗拱研究も始まった。(上代)
           小論文は、此のテーマより始めました。