『京町家』のお話。其の37 和歌の原形は、口遊の風習から。

万葉(まんよう)の人々(奈良時代末より)は、九九を空(そら)んじたと言う。大陸古代中国より文字(漢字)が伝わったのは、15代応神(おうしん)天皇(368~407年)の時代其(そ)れ迄(まで)、日本に文字は無かった。漢字を日本語に当て嵌(は)め文字と為(な)し読んだので在る。
 古事記(712年)は神話から始まり、ヒエダのアレと言う記憶の優(すぐ)れた人の話を文字に留(と)め編纂(へんさん)されたもの。初め漢字を表音(ひょうおん)文字とし中国の漢字を日本語に合せ読み下(くだ)した。アイウエオを(亜、以、宇、江、於)と書き又、中国漢字が日本語の意味に重(かさ)なるもので当てた。文字(漢字)は役所間の連絡や記録に使われ、万葉の時代に入ると「和歌」が盛んに詠(よ)まれ、万葉集の編纂(759年)等、漢字と伴(とも)に漢詩(かんし)もオトコ点等考案され読まれた。平安時代(794年~)に入ると、かな文字も造られ文字文化が益々(ますます)盛んに為(な)った。
 当時より十六と書いて(しし)と読まれる。教養有る人は九九を口遊(くちづさみ)て、今とは逆に、九九・八十一から下(くだ)る。日本人は古来より口遊(くちづさみ)の風習が在った。大陸より祖霊(それい)信仰が伝わる前、日本は神々は大自然の中に座(ざ)し、神々の美しさを讃(たた)えるものが「和歌」で願(ねがい)は神官の祝詞(のりと)と為りて皆、口遊(くちづさ)んだ。(上代)
           元気な人とつきあう。