『京町家』のお話。其の35 平安京での地鎮祭が道教を伝う。

 地鎮祭(じちんさい)の起源は平安京遷都(せんと)造営時に第49代桓武(かんむ)天皇が執(と)り行った儀式が基本と成る。
 現世(げんせ)での平安楽土(へいあんらくど)を願い遥(はる)か平安京より始まり以後、現在に伝(つた)い見られる。儀式の基(もと)と為(な)りて其(そ)の地鎮祭は、道を示す道教(どうきょう)思想を基本とし風水(ふうすい)、方除(ほうよけ)等、廃棄物に悩(なや)まされ廃都(はいと)を重(かさ)ねた反省から並々ならぬ思いでの地鎮祭で在った。
 予定地の西北角に葦茂(よししげ)り小川集まる葛野(かどの)宇多村で「大和朝廷」、天皇祖神を祀(まつ)る国家鎮護(ちんご)の伊勢神宮、準ずる両賀茂社、三者の儀式が合わさり「鍬(くわ)入れ」の儀式、地鎮祭が行われた。先(ま)ず朝廷(ちょうてい)が最も拘(こだわ)る水田の農耕儀礼「護国豊穣(ごこくほうじょう)」。伊勢神宮は国土自然の汚(けが)れを祓(はら)い生命力を新たに、特に社殿中央に鎮(しず)める大事な「杭(くい)」は遷宮(せんぐう)交互換も其(そ)のまま大地を清(きよ)め祓(はら)う。両賀茂社での特に上賀茂社は方除の神とし鬼門(きもん)、不浄門(ふじょうもん)に立砂(たてすな)、「斎砂(いみすな)」を蒔(ま)いて清(きよ)める。
 どの様な「鍬(くわ)入れ」の儀式かと想像するに水田を開き地の汚れを祓う「杭」と土留柵(どどめさく)で神域を分(わ)け、天を突(つ)きて清める円錐形(えんすいけい)の立砂、斎砂(いみすな)での種を蒔(ま)く。護国豊穣を祈(いの)ったで在ろう此の平安京造営儀式が其の後の地鎮祭、儀式等の基本、思想の根底と相成(あいな)った。道教は仏教と合わさり「禅(ぜん)」と相成る。(上代)
          大事なのは、思考と直観力で在ろう。