『京町家』のお話。其の28 遥か縄文より、住まいの原型。

 日本住居の原型は縄文(じょうもん)時代(紀元前一万一千~前五百年)より営々(えいえい)と暮(く)らして来ましたが、初め暖(あたた)かい九州南部より部族単位の集落が生じ土器形態を同じにし北上(ほくじょう)、日本全国に「竪穴式(たてあなしき)住居」での暮し集落が形成せられ、現在での暮しにも繋(つな)がって居ります。竪穴住居は弥生(やよい)(前400~後300年)後期に入ると大和政権がほぼ制圧、争(あらそ)い事も安定しますと水田の拡(ひろ)がりと伴(とも)に環濠(かんごう)集落の環濠は埋(う)められ、外(そと)に平地式の周提(しゅうてい)(土塁(どるい))竪穴式住居へと替わる。
 今まで、「竪穴式住居」の遺跡を追い掛けますと、生活の様子を知る手掛(てが)かり大事な水甕(みずがめ)が一切出土しません。周囲の土手(どて)、周提上に日々の生活での、近くの小川等より水を汲(く)み、汚(けが)れを祓(はら)う杭型(くいがた)で自立し無い甕(かめ)で土手、周提上に据(す)えて使って居た土器の甕が欠片(かけら)が何処にも出て来ません、不思議で在る。竪穴式住居が出土した遺跡に掘下げた円形、楕円(だえん)の滑(なめ)らかな三和土(たたき)の土間に四本の主柱(しゅばしら)の丸い穴と囲炉裏(いろり)が切られて居るだけで外(ほか)は何も出て来きません。
 太古より掘下げた「竪穴式住居」は一家全滅等に拠り廃屋(はいおく)等に為りますと、集落住人は気持ち悪がり土を入れ埋め清める風習と為(な)り思想と成った。(上代)
          是(これ)、日々改善。