『京町家』のお話。其の⑰ 竪穴式住居も三和土は庭と呼ぶ。

 室町時代、後期に建てられた我が国最古の民家(農家)千年住宅と呼(よ)ばれる神戸近郊に建つ「箱木家(はこぎけ)」は「竪穴式(たてあなしき)住居」と「京町家」両方の特徴を兼(か)ね備(そな)えて居る。其(そ)の中で、三和土(たたき)の土間を「庭(にわ)」、と呼(よ)び称(しょう)して居るのに注目し、おそらく、竪穴式住居でも掘下げられた生活の場で「囲炉裏(いろり)」の在る、三和土の土間を「庭(にわ)」と呼んで居たで在ろう。伏(ふせ)屋根、垂木(たるき)構造の草葺(くさぶ)き等で初期は円形、後に楕円(だえん)形に移行する。庭と呼ぶ平(たいら)な滑(なめ)らかな三和土の上に茵(しとね)と呼ぶ敷物の上で生活をして居た。家族単位で力(ちから)を合わせて拵(こしら)えたので在ろう。中央に囲炉裏が切って在り、伏屋根を支える四本の柱が、芯(しん)から約半分の処(ところ)に立つ。掘下げた三和土の滑らかな土間、生活の場に外(ほか)は、何も在りません。此のスペースで寝食を共にし、又、作業場としても使ったので在ろう。生活の台所(水甕(みずがめ)、流(なが)し)は東の土手(どて)上、周提(しゅうてい)上に物を載(の)せ、躙(にじ)り口は南面に設(もう)けます。土手の壁面、立ち上がりに葦簾(よしず)で囲(かこ)みで靠(もた)れた。
 基本的に、竪穴式住居の掘下(ほりさ)げた三和土床面には囲炉裏と四本の支柱以外、障害も無くて平(たいら)、頭上の明るいスペースで、庭と呼ぶに相応(ふさわ)しい。
    「唯心所現(ゆいしんしょげん)」考えた通りに為りますと、お釈迦様は言われた。