『京町家』のお話。其の⑭ ルーツは、「平安京の長屋」。

 平安京の「長屋(ながや)」は時代も下(くだ)ると、戸建(こだて)に建て替わり、店舗併用(へいよう)住宅に替わり、京の街並(まちな)みが形作(かたちづく)られ、現代に伝(つた)う。要するに、平安京の「長屋造り割り」が京都の狭(せま)く奥深い、俗(ぞく)に言う「ウナギの寝床(ねどこ)」の町割りと為(な)った。公共事業の結果で在る。
 長屋の通り正面、入口側を「見世(みせ)の間」と呼(よ)び、店の語源と想わる。一般庶民の住まい長屋で(屋(や))と称(しょう)し、八百屋、堤燈屋、傘屋等の店舗の屋号(やごう)は、平安京の長屋各戸の住まいの前で物を出して売って居た名残で在ろう。元々は住居の玄関横、縁側で物を並(なら)べて売って居たと言われるが、平安京の都での庶民の長屋の前で通りに床几(しょうぎ)を出し物を並べて売ったのが始まりで在ろう。
 続いて地方各地でも庶民の農家、南向きの玄関横、招(まね)き入れる表情の縁側で物を並べて売ったので在ろう。店の始まりは、「平安京」での庶民の住まい、各職種の職人達が長屋の住まいで、作った商品を並べたのが始まりと言える。
 「平安京」での賑(にぎ)わいも庶民の住居、「長屋」の各職人職方の商品を各戸が通りに床几を並べ売り出したのが始まりで、商店街の様相を呈(てい)し時代も下り、戸建(こだ)てに建て替わり『しもたや』店舗併用住居と相成ったので在ろう。(上代)
           自分を磨くとは、己を捨てる事と言う。