『京町家』のお話。其の④ 南の島々より伝う。高床式建築。

 「京町家」建築には、太古より日本住宅「竪穴式(たてあなしき)住居」の伝統様式と託(たく)された想いが息衝(いきづ)いて居ますが実は、竪穴式住居より時代が下(くだ)る、紀元前六千年頃、九州南部には「高床式建築様式」が南の島伝(しまづた)いに「高床式倉庫」と伴(とも)に伝わって居た。
 縄文(じょうもん)時代(紀元前一万一千~前五百年)温暖な九州より旧石器と縄文式土器出土(しゅつど)、いち早く定住集落が出現して北上(ほくじょう)、各地に部族社会成立し土器形式を共有するも、北の寒い地に適する竪穴式が高床式に代(かわ)る事は無かった。寒い地に適した住居で在るが全国に伝わり、居住性に優(すぐ)れて居たので在ろう。
 紀元前八千年頃に南方の熱帯、ニューギニアに農耕文明が在ったと言われ、南の島々の住居形態に見られる高床式建築も伝わる。九州で高床住居遺跡は全(まった)く見られないが、出土する土器片等に高床式住居での暮(くら)しが描(えが)き印(しる)され、垣間(かいま)見て推測(すいそく)出来る。土間を掘り下げる竪穴式は暖かい地域にも適したのか。
 逆に「高床式建築」は堀立柱高床式祭殿建築様式へ受け継がれ其(そ)れは北上、紀元前三千五百年頃の青森三内丸山(さんだいまるやま)遺跡に見る。高床建築は神社建築と成る。高床式倉庫は利用され北上、全国に伝わり北の果て樺太にも伝うる。(上代)
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