『京町家』伝統建築は、太古よりの「竪穴式住居」に伝う。

 『京町家』伝統建築は、太古(たいこ)よりの「竪穴式(たてあなしき)住居」に伝(つた)う。小生、竪穴式住居研究の第一人者を自負(じふ)して居り、外(ほか)にも墳丘墓(ふんきゅうぼ)等に想いを巡(めぐ)らします。竪穴式住居遺跡はよく出土(しゅつど)しますが廃屋、廃都されますと、立ち上がり部は、削(けず)りて土を入れ埋め清める風習が太古より伝う。故(ゆえ)に水甕(みずがめ)等位置勝手が確定出来ません。唯(ただ)、手掛かりとして墳丘墓の「版築(ばんちく)工法」に突破口を見付けた。
 大陸より伝わる祖霊(それい)信仰と伴(とも)に紀元前二世紀頃、ピラミッド様で四角錐(しかくすい)の表面に白い葺石(ふきいし)が張られ光輝(ひかりかがや)き、四方に雨水等を溜(た)め堀の在る墳丘墓が築造さる。大陸古代中国より多数の渡来人が入り急速に水稲(すいとう)が普及。世界共通、食料に余剰(よじょう)が生ずると支配階級も生まれ、弥生(やよい)時代は環濠(かんごう)集落と為(な)る。然(しか)し、末期に大和政権が台頭(たいとう)し、全国的に支配、竪穴式は壁立式(へきりつしき)竪穴住居に替わる。「版築(ばんちく)工法」とは種類の異なる土を何層にも突き固(かた)め強く滑(なめ)らかに築造する。
 現代(げんだい)に伝う伝統建築様式『京町家』の土間(三和土(たたき))は版築工法の竪穴式、住居土間の粘土等複層に滑らかに敷かれて湿気遮断(しゃだん)の為(ため)伝う。版築工法での土塁(どるい)(盛り土の砦(とりで))式の壁立住居の大壁は、柱を芯に篠竹(しのたけ)等を編(あ)み土塗籠壁(つちぬりこめかべ)、が現(あらわ)れ屋根が持ち上がりで現代に伝う。土塀(どべい)も同様版築で造られた。(上代)
       歴史とは、過去から未来へ、託(たく)された想いを伝う。