テーマに依り、文章を書きます。『一口講座』創刊号です。

 先日、大徳寺境内、旧門前集落の古民家改修現場(築200年、江戸後期)を見学させて貰(もら)った時、ふと庭を観て気付いた事が有ります。正面南向きの玄関脇、座敷縁側前には立派な枝振(えだぶ)りの太い幹の老松(おいまつ)が、日当たりも良いせいか、鮮(あざ)やかに私の目に映(うつ)りました。ふと我(われ)想うに、能舞台の背景によく描かれている、あの見事な枝振りの、苔(こけ)むした老松を想い出して重(かさ)なりました。
 其(そ)の目前の松の幹を観ると、苔むした樹皮(じゅひ)は亀甲(きっこう)に割れていて程良(ほどよ)い文様(もんよう)に成っている。その時、此れは確かに目出度(めでた)いものだと直感しました。能舞台正面の板に描かれるのは、老松が目出度いからで在ろう。そして亦(また)、其(そ)の静けさが演じる者を生き々きと浮き立たせるのでしょう。其(そ)の様なイメージが脳裏(のうり)を過(よ)ぎり、絶対にそうだと嬉(うれ)しく成りました。実際に其(そ)の縁側に居る人々が何となく鮮やかに見える。其れともう一つ、対照的に想い出したのが木遣(きや)り音頭(おんど)や民謡等によく出て来る、祝い歌の「目出度、目出度アの若松ツう様アよ」の文句がついつい、出て来て初夏の頃によく目にする松の枝々の、上に上に青い松毬(まつぼっくり)を脇にして、天を突く様に伸びて行く、是(これ)も頗(すこぶ)る活気溢(あふ)るる目出度いもので在る。因(ちな)みに、梅の枝も竹も同様に生命力溢(あふ)るる。(上代)
       記念の「蚊とぼうふら」の『一口講座』創刊号です。