『小生、永きに渡り発声を、声を磨いて居ります。』

 私は子供の頃より永(なが)く声を磨(みが)いて居りまして、何か使命感を覚(おぼ)えます。発声、声は永く詩吟を習い鍛錬(たんれん)を積んで居ります。其(そ)して今も追求が止(や)まず声楽家に付きてコーラス団に所属し発声を習って居ります。声は感動を伝える。感動を伝える為(ため)に声を、発声力を磨くので在ろう。幸か不幸か私には子供は居りません。
 先日も嬉(うれ)しい事が有りました。地元の区役所、庁舎が老朽化に伴(ともな)い建て替え新築され来年6月に完成する、落成披露の式典(しきてん)にメインでの出演依頼が入り、お受けしたそうです。コーラスを主宰(しゅさい)、指導される先生は東京学芸大卒、美しい声に造詣(ぞうけい)が深く熱心な指導を頂いて居ります。私は何故(なぜ)声を磨くのか。其(そ)れが何に為(な)るのか、よく解(わか)りませんが其(そ)の一つに、発声に拠り、美しい声に拠り感動が伝わると言う事です。詩吟の教(おし)えの中に『詩を感激して吟じる。』と在る。吟じる己(おのれ)が感激してこそ聴く人にも伝わると言う、心を養(やしな)うのか。
 『己が感動してこそ相手にも伝わるので在る。』洋楽等では美しい声をも要求されます。美しい声は感動がより多く伝わると言う。邦楽(ほうがく)の小節(こぶし)、洋樂ビブラートは神々への祈(いの)りと聴く。全力で当たれば感動を生むと言う。(上代)
         全力で発すれば、感動を産む。