詩吟の上達は、不変の魂と応変の技術革新に依り感動を。

 声を発するも、技術で在ろう。地声で詩吟を唸(うな)って居る訳(わけ)では無い。美しく練(ね)り上げた声と節調(せつちょう)で詩吟を吟じ感動を伝えて居るので在る。漢詩(かんし)に節(ふし)を付けて唱(うた)うもので、ちゃあんと楽譜(がくふ)も在ります。詩吟も音楽で在る以上、正確な音程移動が要求されます。現在、洋楽に対しての邦楽(ほうがく)で在りリンク致します。
 其(そ)れでは応変(おうへん)の技術革新とは何ぞや。声を練(ね)り上げるも、思い通りに声を発せられず、幾度も変えて、壁にぶつかり時間と工夫も要す。小節(こぶし)(コブシ)、ビブラート一つに於(お)いても苦難の道で在る。難解で在るが諦(あきら)めずに追求するが肝要(かんよう)で在ろう。発声技術の更(さら)なる高みに己(おのれ)を置くので在る。磨(みが)かれた声、発生技術に拠りて感動を得るので在ろう。発生の技術革新を図(はか)る。然(しか)し、魂(たましい)は不変で在る必要も在る。魂は中心軸は、ブレ無い方が良い。魂が横に振れると、感動する心を見失う事も在る。発声は、美しい声は感動を伝える。
 小生は昔も今も同じで在る。『静動一致』が図れると良いと想わる。「受容と発動」と言い換(か)えられるのでは。水の静止の状態から火の発動に移り、又、静止へと戻(もど)るのが良いのでは。合(あわ)せてから、出し尽(つく)くすので在ろうか。(上代)
          「継続は力、成り。」