『最後の埴輪(はにわ)、有孔筒型』のお話。

 埴輪(はにわ)の原型は大陸より伝わった壺(つぼ)で(日本では最古独自で太古よりの甕(かめ)型土器)、何故(なぜ)か底が抜(ぬ)かれ、木棺(もっかん)の四方に半分埋(う)められ等間隔に並(なら)ぶ。初期の埴輪も朝顔(あさがお)型で底は無く天に向かって嘆(なげ)くのか。人形(ひとがた)埴輪等に代(かわ)る。前方後円墳で石棺(せきかん)の四方に杭(くい)を廻(めぐ)らす例在り。
 飛鳥(あすか)時代(538~709年)中期に入ると其(そ)れ迄(まで)の大規模の「前方後円墳」から小規模で堀を巡(めぐ)らさ無い、「八角形」の墳丘墓と成る。聖徳太子の導入した道教(どうきょう)思想で(現世での幸福と不老長寿を求める民間信仰、太極(たいきょく)は北極星を指し、世界は八つの隅(すみ)から出来て居ると言う世界観。)日本では天皇中心。
 34代舒明(じょめい)天皇の陵墓より八角形と成る。堀を無くすと神域を分ける境界が必要と為(な)り「有孔筒型埴輪」出現。其の名の通り穴あき筒状埴輪、汚(けが)れを祓(はら)う『杭形』左右に出っ張りが有り、墳墓の周囲に均等に配し下部は埋め、土留(どど)め板を嵌(は)められ、筒の中にも土を入れ土留めの段差を設けた。「有孔筒形」は最後の埴輪で墳丘の周囲を巡(めぐ)らし神域を分けるが、此れは葬列(そうれつ)の様子も彷彿(ほうふつ)させる。原型は最初の埴輪、朝顔型、葬列の殉死(じゅんし)を象(かたど)り嘆(なげ)きと祈りを現(あらわ)す。墳丘の中腹に腰まで埋められた近習者、300年に悲惨な殉死を廃止。(上代)
          過去より託(たく)されし想いか。