仏(ほとけ)になる木を仏師は「御衣木(みそぎ)」と呼ぶ。

 先日、大仏師(だいぶっし)の仏像彫刻家、江里康彗氏の講話の機会を得て、興味深い仏像彫刻の話を聴いて参りました。
 仏(ほとけ)になる木を「御衣木(みそぎ)」と呼ぶ。インドの木、白檀(びゃくだん)(香木(こうぼく))が元で在ったと言う。仏像は飛鳥時代、仏教伝来(538年)と伴(とも)に、百済(くだら)王より仏像も伝えられる。飛鳥時代、日本に白檀の木が無くて楠(くすのき)が用いられた、香りが似(に)ていると言われる。奈良時代後半より榧(かや)の木や桧も用いられる様に為(な)る。
 仏師は元来、僧侶が行って来た。奈良時代は薬師如来が主尊(しゅそん)で、全国には国分寺が多数設けられ、時代は下る平安時代中期になると「末法(まっぽう)思想」蔓延(はびこ)り、(釈迦の没後、二千年後には仏の御加護から見放(みはな)されると言う。)国分寺は一旦衰退する。然し、阿弥陀如来が現(あらわ)れ救わると伝い、今も護(まも)る。平安京の周辺に、先(ま)ず、百体の阿弥陀堂が設けられた。(現在、残って居るのは四体)
 古い時代の仏像は一木造(いちぼくづく)りで、割れを防ぐ為に中は空洞で在り、木の芯材を避けて木取りもされる。時代が下ると寄せ木造り、割接(わりは)ぎ造りが主流と為る。
 他に興味深いのは奈良時代の仏具は独創的で夢を感じる作品が多いと言う。平安後期に東山に建てられた八角形で、高さ80㍍の九重塔も在った。(上代)
         何か一つでも得るものが在れば、十分で在る。