『感謝の念は、自然に沸き上って来る、心の発動で在る。』

 感謝の念は、自然に沸(わ)き上って来る不思議なもので、軽々に感謝の言葉は出なく為(な)る。『感謝の念』とは、『心の発動』で、強い『感謝力』と言えるもので在ろうか。
 例えば、大変お世話に成り、真剣にもご指導頂き、教えられ、次第に少しづつ身に付いて来て居りて酷(ひど)く感謝して居りますが、然(しか)し、結果を出さねば、何時(いつ)までも感謝の念を表明する事が出来ず、要するに結果待ちと言う外(ほか)無し。感謝すべき多けれど、結果を出してこそ感謝の念を伝え、お礼も述(の)べられる。
 結果を出してこそ、初めて感謝の念を表明せられるので在る。小生、結果を出せずに苦(くる)しむ。苦しむと言うのは、感謝すれど結果が出ず、感謝の念を現(あらわ)す事も出来ずに、此れ程(ほど)、辛(つら)いものは無い。だからこそ、苦しいので在る。単に「感謝」と「感謝の念」は相当の違い、開きが在ると言える。感謝の念を表すので在って感謝、感謝と言うのでは無い。感謝の念とは「心の発動」実践(じっせん)で在ろう。感謝の念を表すに、結果を出さねば為らぬ。結果を出してこそ、初めて感謝の念を伝えられる「資格」が与えられる。故(ゆえ)に感謝の念を、なかなか伝えられ無い苦しさが在り、大事なのは、心の発動で在ろう。(上代)
           亦(また)、色々と学習せねばと想います。