『小生、結果が出せずに苦しむの図に題す。』のお話。

 徒(いたずら)に時が過ぎ、結果が出ずに苦しむ。例えば小生、父親で先代の上棟式打ち込みの慣習、伝統も絶(た)やす事も無く伝承と木遣(きや)り音頭の番匠(ばんしょう)保存会に(京都市無形民俗文化財に指定、番匠儀式等、毎年正月二日朝に広隆寺に於(お)いて「釿(ちょうな)始めの儀」を執(と)り行い、毎月定例に木遣り音頭の練習練磨向上に取り組む。)籍を置く。
 が間も無く、10年近くの時が過ぎ様として居る。当初は、志(こころざし)も在り、様々な公(おおやけ)の場で「木遣り音頭」を披露して、其(そ)の良さを、目出度(めでた)さを伝え拡(ひろ)め、木遣り音頭のブーム到来(とうらい)を夢見ても居た。お世話に成っている現、名誉会長、当時の前々会長で、橋本会長に対して木遣り音頭の継承の為、工夫したいと大見(おおみ)えを切って居た。保存会なので手を加えない方が良いのでは、と述べられた事を想い出す。其して又、想って居た以上に道程は難(むずか)しくて、小生、未(いま)だに人に付いて合わせるしか、木遣り音頭が唄え無い有様で在る。真剣に取り組んで居ない証拠でも在る。然(しか)し、必ず果(は)たそうとするが、如何(いかん)せん私の場合は時間が掛かり過ぎる。何時(いつ)もそうで在るが、此の約10年間、何をして来たのでしょう。我れ甎全(せんぜん)(瓦の如(ごと)く安全に生を全(まっと)う。)を恥ず。(上代)
           やっと、想い通りに文章が書ける様に為って来ました。