『対者我鏡(たいしゃがきょう)正しさよりも優しさを、』のお話。

 詩吟では、此の『誠』を武器として精神上に於(お)いては、絶えず至(いた)らぬ自己を反省し、自分自身に鞭(むち)打って修養に努むべし、と言う。肉体に於いては、病(やまい)は気からと言われる様に真の気力を臍下丹田(せいかたんでん)に充実させ、我が生を励(はげ)まし、健康に務むべし、と言う。
 古人は言った、「万象是我師(ばんしょうこれわがし)」と。真面目に此れに師事して尋ねる人には、正しく答えて呉れる。昔の人は天を父、地を母と呼んだ。父母は、其の子の求めには、何物にも惜(お)しまず与える。与えられぬのは、真心から此れを求め無いからで在る。私を取り巻く大自然は唯、我が鏡と言う其れだけでは無い。求めれば、何ごとでも教えて呉れないものは無い、無上(むじょう)の我が師で在る。自然は真理の百科事典、本は其のインデックスで在る。『万象は真理の顕現(けんげん)で在り、芸術の開花で在る。』目を開いて此れを観(み)、口をすすいで此れを味わい、心を空(から)にして此れに対す時、興味津々、地上は喜(よろこ)びの楽土と変わって来る。此の求め方を教えるのは古(いにしえ)の哲人で在り、今の学者で在り、此れを伝えるのが本で在る。と、言われる。然(しか)し、やはり勝るから優(やさ)しさも持てると想える。『対者我鏡(たいしゃがきょう)』(正しさよりも優しさを、)は、なかなか身に付かない。(上代)
            お話は、何処まで飛ぶのか分からない。