人は真に美味(おいしい)ものと出会、食せば押し黙る、のお話。

 去年の暮、小生の所属するコーラスグループでクリスマス会が催(もよお)され盛況で在った。
 クリスマス・ソングや想いの曲が歌われ、沢山の手作り料理も並び堪能す。会が始りて、先ず長テーブルの「てっちり鍋」を覗(のぞ)き込みお箸で掴(つか)もうとしますと、ご婦人がお玉(たま)により、『白子は如何(いか)が、』と装(よそ)って頂き、口に運びますと瞬間、『アッ』と声が出て間もなく全身に力が漲(みなぎ)り、身体が強(こわ)ばり、『アぁ、幸せ、』と発す。此の世のものとは想えぬ美味(おい)しさに心を奪われた。
 以前より白子はお酒の珍味として、気持ちの悪い、別に美味しいとは想わ無い食材だが、今回は違って居た。熱い白子が余りにも美味しく驚かされた。只々、もう一口食べたいと想い残り少ない別の、てっちり鍋の前に佇(たたず)むと、今度は戯(おど)けた、別のご婦人が『白子』は如何と、お玉で白子の欠片(かけら)を掬(すく)って頂きました。又々感動して居ると、其のご婦人は、『今のは豆腐だったでしょう。』と笑って言われた。お鍋の豆腐と白子が同じ様に見えて分から無いそうです。
 白子で以(もっ)て、先入観に支配されて居ても180度、変わる事が幾らでも在る、と身を以って知り得た。今以て、てっちり鍋の熱い「白子」が忘れ得無い。(上代)
            書けないものも、書ければと想う。