『住いは、冬を旨(むね)とすべし、のお話。』

鎌倉時代末期の歌人、吉田兼好(けんこう)(兼好法師)が随筆集、徒然草(つれづれぐさ)(1310年)中「住いは夏を旨(むね)とすべし、」と説いて居ますが此れは間違いです。言われている事は逆です。日本民家の伝統は竪穴住居以来の住まい方で北方の大陸生まれ寒い地方で工夫された、日本住居の原点は「木と土の住まい」で在った。何時しか貴族、支配者階級の住まいは、夏型の柾目板造りで、土は遠ざけ忌(い)み嫌い、土を一切使わない高床式の風通しの良い住まいで在った。要するに、神棚の家の様なもので在る。
「宮(みや)」と呼ぶ住まいは、冬には全く向かない十二単等に身を包み、囲炉裏は無く、じっとして居た様で在る。此れを兼好法師が揶揄(やゆ)(からかう)したので在ろう。建物は暖(あたた)かみの在る冬型に造りて、工夫し使い勝っては、夏型に対応するのが良いと言って居る。伝統京町家も風通し良く中庭等、季節の変わり目に建具(たてぐ)を入れ替え、目にも涼しさを演出する。やせ我慢、貴族等も奥の間にこっそりと土壁を塗り籠(こ)めた「室(むろ)」の寝室を納戸と称し、畳を敷き詰め、炭火の囲炉裏で寒さを凌(しの)いだ。日本の住まい造りの元凶(げんきょう)、「住まいは、夏を旨とすべし」では無くて、『住まいは、冬を旨とすべし。』で在る。(上代)
お話は、展開し続けます。