ピラミッドは墳丘墓として古代中国へ世界へ拡がった。

 殷(いん)は紀元前1600年、夏(か)の国を滅ぼして成立す。殷は周(しゅう)に取って代わられるまで、前1046年まで続く。古代中国、王朝の都が造られ宮殿、祭祀(さいし)場も残される。紀元前2070年に合金の青銅が出来、青銅剣が作られ制圧、夏が出来たのか。殷は漢詩の原型と伴(とも)に生まれたと言える。殷の時代にエジプトのピラミッドが墳丘墓として伝わったと想わる。ピラミッドそっくりの大きな四角錐(すい)の白い葺石(ふきいし)が表面に貼られ、地中にピラミッド玄室石棺(せきかん)二つと間に宝物棺も在る。其のピラミッド底辺の周囲地底には、黄泉(よみ)の国を現(あらわ)すのか植物畑が取り囲む。地中の石棺に向かって地上からは東西南北の四方から階段が真っ直ぐ繋(つな)がる。其処には時代が下ると隊列の兵馬俑(へいばよう)が地中の石棺を護(まも)る。地中の埋蔵構築物は残されて居るが、地上部のピラミッド型の大きな四角錐の葺石の貼られた、光り輝く「墳丘墓」は削(けず)り取られて今は無い。形は正(まさ)にエジプトピラミッド、そっくりで在る。古代中国よりピラミッドは墳丘墓として、世界に伝わって行った。日本にも、紀元前二世紀頃に四角錐のピラミッド型、白い葺石の貼られた、光り輝く墳丘墓が伝わり其の後、前方後円墳、八角形等と成る。(上代)
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