『謎に迫れるか、「平安遷都造営」のお話』 其の24

 平安京を想わば、古代の姿を想い追う事。東の窓『東雲(しののめ)』より紫色に空が明け、そして日が昇り、点在する竪穴住居の入母屋煙り抜き依り、白いものが立ち、朝餉(あさげ)が始まる。若し、煙が立ち上らぬ家屋が在れば其れは、何か異変が起こったので在ろう。楼観(ろうかん)(後の天守閣の原型)に上り毎朝、天に万人の安寧(あんねい)を祈り、各戸に煙が立ち上(のぼ)る様子を地方豪族支配者、代々天皇は窺(うかが)い役人も登朝(とうちょう)、安堵(あんど)する。
 古代日本の源郷、飛鳥の地を離れ、宮都が移り北上し、遷都(せんと)を重ねるが、環境等の悪化に依り「廃都(はいと)」を余儀なくされる。廃都、廃村、廃屋する場合、必ず清められます。其の風習は縄文より竪穴式住居の形状に由来します。50㎝程掘下げ雨水が入らぬ様、周提(しゅうてい)と周溝(しゅうこう)を築きます。何か異変が起き、食中毒等により、一家全滅が生じると此の場合、集落の者達は気持ち悪がり、埋葬せずに其のまま、土を被(かぶ)せて清めて仕舞います。長い歴史の中で土を入れ埋めて清めると言う風習が伝わって行った。元来、低湿地帯に水田を造り集落や都を設けたので土を入れるのが理に適って居る、平安京まで大前提。藤原京、平城京、長岡京も大垣土塀(おおがきどべい)等削(けず)られ、土が入れられ埋められ清められて水田に還(かえ)った。(上代) 
               其の25、に続く。
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