『謎に迫れるか、「平安遷都造営」のお話』 其の22

 平安京に於いて、宮中の重要な年中行事として国家的な「お祓い(おはらい)」が行われ、国中に満ちた災気を尽(ことごとく)く祓い捨てて、其の生命力を新たにする儀式を、6月と12月に「有司百官」を集め「祝詞(のりと)」を読み上げ神々に奉(たてまつ)った。正確には「禊祓(はらえ)」。
 「祓う」と言う字は、犬を殺すと書く。人間に近い犬を殺し犠牲を強いて「禊(みそぎ)」(身を清める)をしたので在ろう。元来、禊と祓うは一体で神前に「生贄(いけにえ)」を捧げたのでは無く、要するに、犠牲を無駄に仕舞いと決死の覚悟を皆に強いたのが儀式と為ったので在ろう。犠牲を強いて価値観を問うたのか。人は思想と価値観に拠り行動するが、人心を一つに纏(まとめ)め様としたのが「神道」、で過去、国を二分する反省からも神前にて、誰かの犠牲に依りて、緊張の下、油断せぬ、偽りの無い、「神業(かみわざ)」をも求めたので在ろう。誰でもよいのでは無い、皇女で在り、年寄の娘で在り、名犬で在った。祓うとは、禊ぎも伴う。形だけでは無く、手を抜かず、偽りも無い、神業も得ようとしたので在ろう。「修祓の儀(しゅうばつのぎ)」(神事の始めと終わりに神に御出頂きお祓いする。)身を正しく整えて祓う。現在に伝わる多様な儀式も出来るだけ正しく伝えたい。(上代)
               其の23、に続く。
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