『謎に迫れるか、「平安遷都造営」のお話』 其の18

 和歌を護(まも)る冷泉家、其の古文書の中に「和歌の内で目出度いものは木遣り音頭と為った。」と在る。
 空海は834年、大内裏宮中内、唐に倣(なら)い真言院が建立され、曼荼羅壇(まんだらだん)も設けられ宮中の重要な年中行事と為る。大日如来は「密教」の主尊で在る。釈迦仏を越えたと言われる宇宙的な大日如来は天皇祖神「天照大神」とも例えられる。国家鎮護を担う「東寺」の五重塔が漸(ようや)く883年頃完成する。五重塔心柱は大日如来を象(かたど)って居ると言われ、万人の幸福を願い立つのか。
 其の心柱用材は、誤って稲荷山の御神木を伐って仕舞ったと言われるが、51代嵯峨天皇の譲位以前には許可を得て居たと想われる。朝廷に協力を仰ぎ、二千四百九十人の人夫により巨木が東山より伐り出され東寺の境内に、木曳き音頭と伴に運び込まれた。五重塔の工事は中断されるが、約50年後に着工され、時を取り戻す様に当時のままの木曳き音頭と伴に境内を曳かれ、心柱を曳き建てる際に唱われた様で在る。以後、寺院建立の際に唱い継がれた。今日にも伝わる上棟式での「木遣り音頭」の流れを汲(く)むもので在り、伊勢神宮の式年遷宮、御営用材の「お木曳き」木遣り唄にも由来する。(上代)
               其の19、に続く。
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