『謎に迫れるか、「平安遷都造営」のお話』 其の17

 新しい仏教「密教」に国の未来を託(たく)したと言われる。804年、16次遣唐使船により最澄と空海、密教求め出発す。翌年5月最澄帰国。十万の兵を派遣した蝦夷征伐(えぞせいばつ)は効果無く「平安京」に造営と共に中止。806年正月、桓武天皇の公認を得て比叡山に天台宗を開宗。国家鎮護密教動き出す。此処で「道教」と別れる。同年、桓武天皇崩御。平城天皇即位。809年51代嵯峨天皇即位、7月空海平安京に戻る。823年嵯峨天皇は東寺を空海に一任、此処に真言宗開く。インドに生まれ中国で体系付けられた空海に依り伝えらる。三ヵ月後4月、嵯峨天皇譲位、淳和天皇即位す、其れで『密教』とは何ぞや。極楽浄土も輪廻転生も無い。在るのは『即身成仏(そくしんじょうぶつ)』と言う。大日如来は、生きている此の身のまま仏に為れると説く。現世に生きるままに仏に成ると言う。『自分には自分の色彩が在り自分は自分の花を咲かせ無ければ為らない自覚する事が必要が在ると、』要するに万人の幸福を願う。五重塔の着工に当たり二十本近い巨木が東山より伐採、運搬され東寺に運び込まれた。誤(あやま)って稲荷山の御神木が含まれて居たと言う。此の事件の影響も在り、完成は50年余り要する。(上代)
               其の18、に続く。
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