『謎に迫れるか、「平安遷都造営」のお話』 其の16

 当初、平安京造営の都市計画、グランド・デザインは神仙思想「道教」、大地も人体生命と捉(とら)え「天、人、地」三位(さんみ)一体と考え願いを込め平安京を遷都されたが、元々古来より「人と地」は死すと一体と考えて居り天皇祖神を奉るに「天上、人、地」一体は必要で在るが、現世では『天上、人』が最も重要で在り願いで在った。
 平安京遷都造営が一段落すると、先ず最澄が唐より「密教」を持ち帰る。釈迦仏を越えたと言われる宇宙的大日如来が天皇祖神天照大神と習合し、権力とも結び付き「神仏習合」が一気に拡まる。天皇祖神を祀る伊勢神宮と天皇の墳丘墓のみを残して、此処に「道教」とは決別される。「神道」と「仏教」は密教に依り神仏習合と為りて、日本は救われたと言える。続いて、仏教の正統な継承者「空海」波乱の中に帰国し伝える。仏教では国家鎮護の仏像は薬師如来で在ったが大日如来に。以後「道教」は「神道」に吸収され今日に到る。又、中国では「仏教」は「道教」に吸収され、考えの違い如実と為ったが神仙思想が根底に流れて居る。平安京の時代に「神道(しんとう)」確立され、仏教建築様式も取り入れられ、神社建築や雅楽音楽も整備確立される。(上代)
               其の17、に続く。
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