『謎に迫れるか、「平安遷都造営」のお話』 其の12

 平安京造営を探るキーワードの五つ目に恩人『聖徳太子』を挙げる。風光明媚な飛鳥(明日香)に宮都が置かれ、藤原京まで百年続く。「日本書紀」では「倭京(やまとのみやこ)」と呼ぶ。33代推古(すいこ)天皇(女帝)即位す(592~629年)蘇我馬子と聖徳太子の共治政治で進め大陸との対等外交の姿勢「皇帝」に対す「天皇」の称号で示した。
 「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」飛鳥の地に降り立ち、飛鳥寺を目にす隋の使者に国書託(たく)す。「天皇」は「道教」からの引用で在る。
 古来より自然の中に神々が座すると考え自然の美しさ神々を讃える「和歌」、原形での「言霊」と、此の宇宙「天、人、地」三位一体の考えが結び付いた。
 天皇は毎朝、大内裏、太極殿に於いて麗(うるわ)しい国土と民の幸福、安寧(あんねい)祈る儀式を、其して南面の朝堂院(ちょうどういん)内の庭に役人集まり控える為「朝廷(ちょうてい)」と呼ぶ。
 「聖徳太子」は賢明で在った。目的は家運、国運が盛んに成りて、子々孫々迄もの繁栄を切望す決して個人に関するものでは無い旨、ハッキリと認識す。故に、現在も綿々と祈りは続けられて居る。「聖徳太子」に依り確立されて、平安京遷都造営時「都市計画」の組み立てる基本構成概念と成り得た。(上代)
               其の13、に続く。
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