『謎に迫れるか、「平安遷都造営」のお話』 其の6

 北高南低の山城盆地に幾筋も流れる河川を改修しながら整然たる条坊都市、平安京を造営す。
 キーワードの二つ目は『都市計画』が立てられ造られた住居「長屋」で在る。竪穴式(土間の上に直接敷物を敷いた生活)から町家として棟続きの「長屋」が道路整備と合わせて建てられた。貴重で在った板材もふんだんに使われる。
 平屋建て板葺き屋根、(宮)風(貴族の家)連棟、礎石柱立、土壁が見え無い様、網代等で覆(おお)われ、京の雅を醸(かも)し出して居た。床は板張り、貴族的床上生活を目指す。其の頃地方庶民は竪穴住居で平安時代頃迄も住まいして居た。要するに、庶民の住居は竪穴式住居から床上住居生活への転換点でも在った。又、時代が下ると「長屋」が個建てに建て替わり、店舗併用住宅にも替わり、京の町並みが形造られ、現在にも至る。要するに『長屋造り』割が京都の狭く奥深い俗に言う「ウナギの寝床」の町割と為った、公共事業の結果でも在る。「長屋」の通りに面した入口側室を「見世の間」と呼び、店の語源と想わる。一般住宅「長屋」を庶民の家(屋)と称した由来。八百屋、提灯屋等の店舗の屋号は京の長屋の各住まい事の前で、物を売って居た名残で在ろう。(上代)
               其の7、に続く。
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