『謎に迫れるか、「平安遷都造営」のお話』 其の5

 旧勢力排除や仏教偏重から長岡京(例外、乙訓寺)同様、平城京より寺院の移転等を認めず、平安京遷都造営時他に寺は無く、官寺の東寺と西寺のみで在った。当初両寺共伽藍は整わず、其れ迄の国家鎮護の仏像は薬師如来で金堂のみが建立され、南正面入口、羅城門の両翼に配され、屋根に見慣(みな)れぬ瓦が照り輝いて居た。当時の瓦は現在の瓦と違い灰色、宇治の隼上(はやあが)り窯で焼かれ水路より運ばれた。
 羅城門から北へ一直線に広い朱雀大路が延び、遠く大内裏が望める。内裏の建物は伝統的に白木、屋根は板葺き。又、左右の東寺と西寺の瓦屋根の輪郭に緑ゆう瓦が縁取られ、軒瓦と丸瓦の棟寄棟台形ラインで在る。正面入口に立てば、朱色の建物と緑鮮やかな屋根が、平安京の華やかさを彩って居た。
 其の珍しい薬掛け瓦は稲荷山で焼かれたと想わる。稲荷神社は既に在り、渡来系の技術集団が居住して居た。コバルトや銅を含有する緑ゆうを製造する高度な技術も持って居たと想わる。稲荷神社は東寺の守護神社でも在った。此の後、東寺は51代嵯峨天皇より空海が賜(たまわ)り密教寺院として五重塔含む伽藍を整うべく、東山より御神木等巨木が木曳き音頭と伴に境内へ。(上代)
               其の6、に続く。
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