『謎に迫れるか、「平安遷都造営」のお話』 其の3

 第49代桓武天皇生誕の地ではと想わる長岡京(784年遷都)は地理的な欠陥等、造営中止。北上し山城(当時、葛野(かどの)郡が開けて居た。)の地が「四神相応の地」と判定、(玄武、青龍、朱雀、白虎)山川麗(うるわ)しく四方の百姓参り来るも容易、此の地は渡来系、秦氏が長く居を構え、長く大和朝廷とも縁が深い。第14代仲哀(ちゅうあい)天皇(后は神宮皇后)日本武尊の子。既に其の時代より帰化と伝わる。
 「神道」は元を辿(たど)れば道教(老子を祖とする現世での幸福と不老長寿を求める民間信仰)中国、春秋時代の神仙思想に突き当たる。当時、秦氏が神仙思想を伝えて、大転換期の大陸や朝鮮半島の情勢詳しく、半島へ出兵も促(うなが)した様だ。鉄資源や権益、進んだ大陸文化が直接入手出来幸運で在った。15代応神、16代仁徳天皇の時代に入ると地方豪族等も抑え支配を確実なものとした。平安京造営時に風水や道教的な鍬入れ、地鎮祭の起源と想う儀式が執り行われ、秦氏の影響が色濃く在ったと想われる。神仙思想は神道として日本独自に歩み、やがて神仏習合の密教、最澄(さいちょう)、空海と出会う。松尾大社、伏見稲荷大社は秦氏系。秦氏は瓦等製造にも深く係わる。(上代)
               其の4、に続く。
                 ↓↓↓