『謎に迫れるか、「平安遷都造営」のお話』 其の2

 現在の「京町家」のルーツで、京の町並み割の基と為る建物が「平安遷都造営」で条坊都市道路割と伴に公共事業として庶民の家「屋(や)」の語源でも在る、雅(みやび)な『長屋』を纏めて築造す。板葺平屋の一部、貴族の家「宮(みや)」風で連棟、礎石建で一切、土塗り壁が見えない。真壁面を網代(あじろ)で襲われ、通りに面して無垢での板入口扉は内開き、飾り窓は「蔀(しとみ)」挌組で在る。床は板張りで床上生活を暮(おく)った。一般の地方民家は農家で、平安時代中期まで平地式竪穴住居暮らし、土間上に直接敷物を敷いた生活で在った。平安京の町家では貴重な板材もふんだんに使った様で在る。外正面内法上と窓枠下に格式の「外長押(そとなげし)」が通されて居た。
 現在の「京町家」の伝統そのままに伝えるのは此の縄文時代よりの高床式堀立柱祭殿建築様式、格式の「外長押」で最古の法隆寺、国宝回廊にも観る。又、飾り窓「蔀」は正面を飾る面格子と成り全国に拡がった。平安京都では段格子が代表で在る。格子のルーツは格式の蔀戸(しとみど)で在る。他「平安遷都造営」拠りの伝統は「長屋」側面に張られた贅沢な「横下見板鎧(よろい)貼」で在る。現在も竪桟と伴に玄関脇等の正面を飾る。此の三つが、今に格式伝統を伝える。(上代)
               其の3、に続く。
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