「対、地震についての考察」 その7

 先ず五重(三重)の塔の制震、軟構造の工夫、完成された其の心柱の発想は何処から生まれて、心柱は何処から来たのか。考えられるのは今の処、建築変遷を辿れば、心柱の機能に近い棟木、屋根荷重を支える棟持柱え在ろう。では棟持柱とは何ぞや、心柱に成得るのか。弥生時代後期、大型高床倉庫群(後の正倉院等)での堀立柱列妻行両側中央で切妻屋根の棟木(屋根共)のみの荷重を支える飛び出した形の長い八の字形、やや斜め丸太支柱で在る。
 例えば斜材で在る筋違、方杖を使わず土壁と軸組に依る京町家、伝統工法、柔構造と耐震補強材「はしご状梁」の加振台実験を先日観て想うに、やはり一二階で地震波の「スネーク・ダンス」を見て取れます。一階は右、二階は左に交互に揺れて二階床で、くの字に折れ大屋根は振れる。淡路大震災でも二階床通柱が折れるか、ねじれて倒壊した例が殆ど。そして確かに建物二階床荷重等を受けない屋根荷重のみを支える、棟持柱や心柱に良く似た性質で通庭の銅差の入らない一枚側壁は二階床部で、くの字に折れ様とする力を「はしご状梁」で腰部の側壁柱が撓んで抑え、又、其れを支点にして大屋根梁を其の撓みが跳ね戻している。正に心柱と成っていた。実験を観て確かに柔らかい揺れに成っている。効果は期待出来るのでは。棟持柱は堀立柱列と堀立柱に載ら無い後付の太い棟木が別の振れ方をするので其の屋根を載せる棟木を前後で支えて軽くして揺れを堀立柱列と同調さすのです。(同調しないと分離し束立ちの棟木、屋根が破損する。)其の棟持柱は堀立柱では無く礎石ピン立ち。故に五重(三重)塔の心柱の発想は棟持柱からではなかろうか。又、其の効果が伝統建築の通庭の側壁、カーテン状の一枚壁大屋根支え柱壁に活かされて居るのでは。棟持柱は変化して五重(三重)塔の心柱に成得る。(上代)
               その8、に続く。
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