京都に大地震が何れ来る、1830年天保謎の大地震が最後。

 小生にも「憂(うれ)い」と言えるもの、少しの憂いが在ると思います。憂いは消し去ら無ければ為りませんが、「ついて居る」と言える時や調子の良い時等思い通りに事が運ぶ、其れ以外の小さな憂いとでも思える時、其れが繰り返し訪れる様に想えます。ついて居ないのでは、と思える時の対処法ですが、やはり前向きに事に当たるしか無い様です。とにもかくにも虱潰(しらみつぶし)しに片付け、有り難う感謝の気持ちで、遣るべき事を確実にこなして行くが賢明な様です。すると好転に移り良い方向に事が進み新たな展開に入る様です。素早く片付け好転機に持ち込む手立てがよい。又、出来る事が在れば即実行して置く事。
 私の「憂い心配事」は京都に「大地震」が来ないかと何時も、びくびくして居ります。此の心配の対処法として、来たら其の時の事として、あっさり心配を捨てる事にしました。大地震は来るか来無いか、分から無い。しかし或る程度憂いを無くす為にも耐震処置は施さ無ければ為りません。当方の古い木造住居の壁量が少ないので耐震壁を設けました。大屋根瓦も降ろし耐震上有利な軽い屋根に葺き替え倒壊を防ぎ、身を守る考えです。少々の地震では心配に及ば無いが我々、十分な寿命を全うするまで来ないで貰いたい。(上代)
           続きは、次回へと。