天皇墓陵の「御柱(おんばしら)」とピラミッド、「杖柱(つえばしら)」。

其れではエジプトのピラミッド「杖柱」と墳丘墓「御柱」、築造時での共通点とは何ぞや。
エジプトのピラミッド築造の順として先ず、地下面に石室の玄室、王の間(通路を含む)が造られる。其して目印、杖柱が立てられて砂に埋められた。「杖柱」、指し示す中心軸に合わせて、四角錐のピラミッドが積み上げられ、キャップストーンが載せられ完成へ。南正面の東西南北に造られ、当時太陽神、ラーを崇拝する太陽信仰が在ったと言う。玄室、王の間上部に竪抗(たてこう)在り、逆階段状に石積みがされ、頂点に向かって吹き抜けの空間が設けられて居る。
天皇の墳丘墓、築造時「御柱」立てられる。古い紀元前のものは自然の小山を利用、中央上から掘り下げられ木棺(もっかん)を据え亡骸(なきがら)が入られ目印の「御柱」を立てられ土が戻された。ピラミッド型が整えられ、御柱を納め表面に葺石(ふきいし)が施される。共に「天と人と大地」一体と成り永遠の生命力を得ようとしたもので在ろうか。卑弥呼の時代より前方後円墳で石棺に移り、石室の玄室を地上に築造、羨道(せんどう)も先に造り、目印の「御柱」立てられ版築(ばんちく)工法にて土被(かぶ)せ、形を整えて後入られ、御柱納(おさ)めて葺石張られ、堀を巡らされ完成へ。(上代)
亦、お話は、次回へ続く。