日本最初の寺院「飛鳥寺」のお話。(6号文)

 608年、隋の答使『裴世清』(はいせいせい)は飛鳥の地に降り立ち、都の中央に建つ五重塔を含む真新しい仏教寺院を見て驚く。余りにも立派過ぎる寺院で在った。遡る20年前、587年に初めて本格的な寺院が着工された。掘立柱では無く礎石の上に立つ、大陸から伝わった建築技術は遥かに進んだもので在った。百済から仏舎利と伴に僧、造寺工、十露盤博士(そろばんはかせ)、瓦博士、画士ら寺院建築に必須な人々が派遣されて来た。此の飛鳥寺が寺院のモデルと成り、10年後には法隆寺も完成する。
 飛鳥の建築様式は「和様」と呼ぶ中国にも無い様々な技術が合わさり、竪穴式での垂木(たるき)や、円柱エンタシスは遠くギリシャより伝わる。そもそも、中国の寺院建築は簡略的で日本の寺院とは違って居る。日本の寺院は緻密で、何故なら中国で宮殿建築の為の技術其れが齎(もたら)された。日本で宮殿建築は伝統的に祭殿建築様式、白木造り板葺屋根等で在る為必要無く、宮殿建築様式を寺院建築に流用したと言える。最初の寺院、飛鳥寺は高度な建築技術で建てられ、日本の寺院建築モデルと成った。中国で宮殿建築と言えば太極殿等で在ろう。中国で本来、宮殿の為の技術が発達し其れが日本の寺院建築と成った。(上代)
           其して、お話しは、続きまあ~す!