おかめ「お多福」御幣(ごへい)のお話。(5号文)

母親に子供の頃からよく、おかめ(お多福)さんの話で、柱を短く切って仕舞困って居る時、肘木(ひじき)と升(ます)の斗拱(ときょう)を考案し苦境の夫、棟梁を助けたと聴いて居ました。しかし、中国に行きますと、古くから斗拱組は有ります。少し違って居りました。私と同様に二代目等の連中は同じ様に聴かされて居たと聞く。
千本釈迦堂(鎌倉時代、1227年)本堂は創建時そのままの物で在り、京洛最古の建造物として国宝にも指定されて居る。確かに丸柱(一尺二寸~一尺六寸)は全て上部途中で切られて居り、大斗(だいと)が載せられて斗拱が組まれて居る。『おかめ伝説』の建物として納得しました。本堂造営の棟梁が主柱の寸法を短く切り損ね困り果てた折、此れを見た妻の「おかめ」は、桝組に依って補えばと考えを提した。かくして工事は進み、上棟式が盛大に営まれる事と成ったが、その日を待たず「おかめ」は黄泉(よみ)に旅立った。今は亡き、おかめに上棟式だと、知らしめたいと、おかめの面を作り、棟札(むなふだ)に附して上げ、おかめの徳を讃えた。この故事が上棟式の御幣(ごへい)と成り、今も広く伝承される。
私は此れらの事象等に依り斗拱に興味を持ち、歴史を辿(たど)る切っ掛けと成り、初めは不可能だと想って居た「斗拱研究」を纏める事が出来ました。(上代)
又、又、お話は続きまぁ~す!