大工の神様、聖徳太子のお話。(3号文)

 先日、車で急峻な西山頂上付近の三箇寺(三箇杵さんこしょうの事)を訪れました。今回詳しく見せて貰うと、空海や多くの仏像中に聖徳太子が居られ、そして胸元に大工道具の差し金(矩尺かねじゃく)を持って居られる。初めて見些か驚いた。子供の頃より聖徳太子が「差し金」を考案されたと聞き及びて貴ばれていた。当建築組合の千本釈迦堂、太子祭では一家総出で行事にも参加していました。
 日本に数学が伝わったのは最初の寺院、飛鳥寺建立に合わせ602年、百済の僧、観靭(かんじん)が中国の暦本天文地理書(数学、暦学、天文学)を持参して来日し、其の書物を使って教えたと記録が在る。第33代推古天皇在位中、聖徳太子の時代であった。以後、室町中期に「そろばん」が使われ江戸時代始め、独自の数学『和算』が発達した。氏神様の伏見御香宮にも江戸時代の「算額」が奉納、掲げられて今も観れる。以前、差し金で多様な計算が出来ると聞き、計算尺の様に多数のスライド目盛りも無いのに疑わしいが興味津々だった。
 今想うに、聖徳太子が最新の大陸文化を取り入れ(607年、遣隋使派遣、608年、隋の答史を迎える)飛鳥寺や法隆寺五重塔、建立に数学計算も必要で自ら工夫、運用法も編み出す技量を備われていたで在ろう。(上代)
          尚も、話しは続きまぁ~す!